スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

[編集]

今年もよろしくお願いします。

 今年もよろしくお願いします。

00882.jpg

 写真は過去のものの使い回しですが,午年なので一応これにしました。今年は札幌から転出することになるはずです。今年は,思い残しのないように,北海道の冬の写真など,撮り残したものを撮っておきたいと思います。
スポンサーサイト

[編集]

ペンギンの行進

 去年の2月,冬の旭川動物園に行ってきた。

03488.jpg
(2013.02.09)

 ペンギンたちが,極寒の中を元気に行進している。妻の希望でこれを見に来た。いい思い出にはなるのだが,とにかく寒い。と言いつつ今年は2月に釧路の鶴居村までタンチョウを見に行く予定にしているのだけれど。

03490.jpg

※ 写真はE-PL5Lumix 12-35mm F2.8で撮影

[編集]

『風塵抄』【1】

 司馬遼太郎『風塵抄』(中公文庫)を読んだ。

 司馬遼太郎の歴史小説をあらかた読み終え,今はエッセイを漁っている。エッセイ集『風塵抄』はそのほとんどが執筆当時の世間をテーマにし,少なくとも潜在的な主題として書かれている。昭和の末から平成の初めにかけての土地バブルがいかに人々を堕落させたかということが繰り返し現れているし,ソ連に関する話題も少なくない。敬語の衰退についての手厳しい批評もある。歴史小説とは味付けが異なるが,これはこれで興味深い。

 今年は正月を1人で札幌の家で過ごしている。元日は遊んで暮らした。が,4月には異動が待っていて,たぶんGWくらいまでは読書の時間もないに違いない。そうなるまえに,冬の休日は1日1冊ずつでも読んでいきたい。

[編集]

Lumix 12-32mm F3.5-5.6を注文した。

 交換レンズ,Lumix 12-32mm F3.5-5.6をアマゾンで注文した。

 最近,普段デジカメを持ち歩くことがほとんどなくなってしまった。それはカメラが重くて大きくなったためである。以前のCanon S90はいつも持ち歩いていた。大変な退化である。

 それで最初は,コンパクトデジカメを買い足すことを考えた。だが,これまでの経験から,画質に満足できず,不満が募るに決まっている。それで,非常に小型軽量で写りも悪くないと評判の,12-32mmを導入してみることにしたのである。

 暗いし望遠端もかなり短いが,コンデジよりはいいのではないかと期待している。使ってみたらまた感想など書いてみたい。

[編集]

ガリンコ号

 2013年2月10日はガリンコ号に乗ってきた。

03491.jpg

 よく混同されるのは網走のオーロラ号である。ガリンコ号は紋別から出る。かなり前から予約をしないと席が取れない。にもかかわらず,流氷が見られる保証はない。

03492.jpg

 この日も流氷は来なかった。前々週に当時の同僚が網走でオーロラ号に乗った。その時は見られたらしい。少し妬ける。といって今年も流氷を見に行こうという気持ちには,あまりなれない。寒いし,行ってもまた同じようなことになるんじゃないかと思うと気持ちがしぼんでしまう。

03493.jpg

 そういえばこの日はお昼に「にの字」という蕎麦屋に行った。蕎麦もうまいし,蕎麦を揚げたおやつも良かった(少し塩辛いが)。写真は残っていない。撮らなかった。正直なところ,北海道の冬は雪に閉ざされてうんざりで,この時もカメラを取り出す元気が出なかったのである。

※ 写真はE-PL5Lumix 12-35mm F2.8で撮影

[編集]

読書用のCDは何がいいか。

 読書をするとき音の環境はどういうものがいいか。クラシック音楽と答える人と無音と答える人が多いと思う。ジャズを挙げる人もいるだろう。だが正解は違うらしい。自然音が,最もいい。川のせせらぎや波の音,小鳥のさえずりといったようなものである。

 なぜか。

 逆を考えると分かりやすい。最悪なのは母語の歌や落語などで,これほど集中力が削がれるものはなく,そのことは誰も疑わないだろう。言葉が耳に入ってくるだけで大脳が勝手にその意味を読み取ろうとするために,本のほうの読解作業が邪魔されるわけだ。意外にもそれはクラシック音楽やジャズでも同じことらしく,メロディーを聞いた脳がその意味を探ろうとして,やはり思考の乱れを生んでしまうようだ。

 要するにモーツァルトは読書に向かない。

 かといって,完全な無音状態がいいわけでもない。無音は無音で,脳が用心深く周囲の環境に注意を向けてしまうせいで,かえって読書に集中することができないのだろう。

 だから自然音は読書に向いている。音は存在するのに,そこに読み取るべき意味はない。それが読書の集中力を得るのに最適なのである。そのことは,例えば,電車の中だとやけに読書が進むことを思い出すと,納得できる。小説の執筆で作家が自然豊かな保養地に行くのも,同じような理由なのだろう。

 というわけで今日アマゾンで自然音のCDを買い足した。既に「屋久島」など3枚のCDを持っているのだが,繰り返し聞いてきたせいで,飽きつつある。気分を変えるために5枚ほど,「奥入瀬」,「ニューカレドニア」などを追加することにした。週末に届く。感想はまたいずれ。

[編集]

ポルトガル語の勉強が進まない。

 ポルトガル語の勉強を始めた,と以前に書いた。昨年(2013年)9月16日の記事である。その進捗状況がはかばかしくない。4か月近く経っているのに32課中19課,全体の6割しか進んでいないのだ。最近では11月10日から12月23日まで40日以上も間を空けた。どうも怠け癖が付いてしまってしょうがない。

 外国語会話の勉強は根気がいる。最初のうちは面白いから進度も早い。ところがしばらくすると壁に突き当たる。覚えたはずの単語が出てこなかったり,無味乾燥な(と見える)動詞の活用を暗記するのに手間取ったりして,だんだん飽きてくるからだ。

 それに,だいたい,7泊9日程度の旅行のために外国語会話を半年以上かけて勉強するなんて,実利の観点からは無意味で馬鹿げた行為としか言いようがない。要は暇な変人の暇つぶしのための変な趣味に過ぎず,長続きさせるだけの必然性はないのである。

 などという思いも持ちながら,今日からようやく勉強を再開した。初めて過去形が出てくる。ポルトガル語では動詞の変化が人称ごとに違っているようで,5種類(1人称単数・複数,2人称単数,3人称単数・複数)の規則変化を覚えるだけでも一苦労ありそうだ。

 ともあれ,渡航するまでの間に少しはものになるように,気持ちを新たに頑張ってみたい。

[編集]

層雲峡氷瀑祭

 2013年2月10日は,層雲峡に泊まった。

03494.jpg

 氷瀑祭をやっている。氷瀑と言っても人工のものだ。木材で枠組みを作り,そこに水をかけて凍らせるのである。中は洞窟になっている。それも長大な迷路になっていて,歩くのも思っていたよりずっと楽しかった。

03495.jpg

 氷瀑祭りは,これに合わせて花火大会をやる。あまり大規模なものではない。すぐに終わってしまう。しかしそれでも,見ていると気分がいい。

03496.jpg

※ 写真はE-PL5Lumix 12-35mm F2.8で撮影

------------------------------
(おしらせ)
 今月は記事にする写真がなくなりました。写真付き記事は来月1日まで休載します。

[編集]

『深夜特急』第6巻【2】

 沢木耕太郎の『深夜特急』第6巻を読んだ。これで完結である。

 第6巻はイタリアから始まる。長靴のかかとの部分,アドリア海に面したブリンディジがスタートだ。ここからローマとフィレンツェ,モナコを通ってパリに行く。スペインとポルトガルに寄り道した後,1年に及ぶ旅をロンドンで終えた。

 イタリアのローカルバスの車内では知り合った乗客たちと会話をし,マドリードのバルではワインを片手に見知らぬ客たちと飲みあかし,リスボンでは街路でファド・レストランのファドを立ち聞きする。パリでは牡蠣売りのおじさんとワインを飲んだりもしたらしい。

 著者は,ため息が出るほど豊かな旅をしている。

 旅の豊かさは旅人の感受性の豊かさに比例する。私に著者と同じ濃度の旅ができるわけはないし,それに挑戦しようとも思わない。できることはただ,上に書いたエピソードに胃袋を刺激されて,近所のスーパーに牡蠣を買いに行くことくらいである。

[編集]

関西に帰れる。

 今日内示があった。久々に関西に帰れる。勤務地は明石で,社宅はたぶん神戸市内という。

 昨年異動先の希望を訊かれた時は妻の希望で「東京」と書いた。自分自身,3年前に札幌という寒冷地に異動させられたのだから,次は希望を叶えてくれるだろうという気持ちはあった。他にも色々事情があって,今年は東京かそれに準ずる大都市だろうと勝手に考えていた。蓋を開けると意外にも明石だった。

 それが無性に嬉しかった。私は札幌の満員電車が嫌でタクシー通勤をしているほどの人間で,正直なところ大都会には行きたくなかったし,故郷の神戸にも早く帰りたいと思っていたからである。妻には申し訳ないが,昇進は程々でいいと思っている。

 ロゼのスパークリングワインを買ってきて,祝杯をあげた。

※ この記事は1月10日付けで書き投稿したが,実際に公開したのは正式辞令を受けた4月1日である。

[編集]

『司馬遼太郎が考えたこと』第2巻【3】

 『司馬遼太郎が考えたこと』第2巻(新潮文庫)を読んだ。昭和30年代に書かれたものとは信じられないほど,文章は古びていない。アマゾンで12巻まで買ってある。ゆっくりと,年内に全巻読めればいいと思っている。

 この連休はほとんどずっと家にいた。有意義なことはほとんどしていない。ポルトガル語を多少勉強したほかは,テレビを見,4月の異動先が金曜に分かったことの祝杯を日曜にあげ,そのまま二日酔いになった程度のことである。月曜の今日,文字を目で負うにもかすんでしまうのだが,今年は本は週1冊のペースで読まなきゃと思ってようやく読んだ。

 いくら面白くても,同じ作家の本ばかり読んでいると食傷気味になってくる。次に読む本は司馬遼太郎以外のものにしたほうが良さそうだ。以前買って読まずに置いておいた村上春樹でも手に取ってみようかと思っている。

[編集]

『海辺のカフカ』【4-5】

 村上春樹『海辺のカフカ(上・下)』(新潮文庫)を読んだ。

 作中では2つの物語が交互に語られる。

 1つは家出少年の話。東京で父親と2人暮らしの少年が15歳の誕生日に家を出て,高松にやってくる。甲村(こうむら)記念図書館という私設図書館に通って本を読む日々を送っていたが,あるとき(外出中)気付くと血まみれになって意識を失っていた。その数日後,血まみれの日に父が刺殺されたことを新聞で知る。少年は幼いころに父から,お前は父を殺して母と交わるという予言をされていた。自分は夢の中で父を殺したのではないか。その謎と失踪した母に関わる探求が,1つ目のストーリーになっている。

 もう1つの軸は,猫と話をすることができる老人「ナカタさん」の話。ナカタさんは文字が読めない。書くこともできない。小さいころある事件で読み書きの能力を失った。ただ,なぜか猫と話をすることができるようになった。それで猫さがしの名人と評判になっているという人である。その彼がゴマという子猫を探しているうちに,猫殺しの男と対決することになる。

 2つの物語はいずれ交錯することになる。そのストーリー展開の面白さがまずはこの本の魅力の一つであるプロットの面白さ,ひいては読者を楽しませるというサービス精神の点で,読む価値がある本だと思う。

 が,もちろんそれだけで上下2冊,合計1000頁以上の文章を読ませるわけではない。

 まずは文学論や音楽論の魅力である。フランツ・カフカの「流刑地にて」,源氏物語,夏目漱石の「坑夫」などの文学作品や古典,あるいはハイドンやベートーベンなどの音楽について深い(と見える)考察を登場人物が加える場面が随所にちりばめられている。それは時に過剰ともいえる色彩を放っているが,この種の文章を初めて読んだ人間にとって,新鮮で知的好奇心を刺激されるものであることは否定できない。

 風景や心象の詳細な記述もまた魅力の一つだ。小説でその豊かな表現を味わうことは,それ自体が楽しみである。

 他方で少し分かりにくいところもある。猫と話のできる男が主人公の1人である,という設定自体が突飛なものだ。この設定は物語の早い段階で語られる。その時点において,この小説がSFかファンタジーに属することが宣言されている。だから,その後の展開でどんな超常現象が起こってもアンフェアではない。

 が,そのSF的(あるいはファンタジー的)要素をその後どれだけ詰め込むことが読み手によって受け入れられるのかということは,別問題である。幽霊が現れ,ある人物が空から魚や蛭を降らせ,不老不死の旧日本軍兵士が出てくると,違和感(もっと言えば拒否感)を持つ人も出てくるだろう。個人的には作品世界に入り込めない自分を常に感じていた。

 露骨な性的描写が多いことについても,どこまでその必然性があるのかぼくの理解の及ばない部分があった(特に下巻)。もちろん,作者にとっては,なければならないディテールだったに違いない。ただ,それは,読む人を選ぶことになるし,誰にでも勧めるわけにはいかないという結論にもなる。

 これまで村上春樹は読んだことがなかった。周りにも読む人がいない。評判がいいのは知っていたが理由もなく敬遠していた。読んでみた結果,それなりに面白かったし,他の作品も読んでみたいとは思っている。ただ,今のところ,中毒になるほど強烈な吸引力を感じるには至っていない。本棚にある『ねじまき鳥クロニクル』を読めばもう少し村上作品のことが分かってくると思っている。

 取りあえず『1Q84』全6巻をアマゾンで注文しておいた。

[編集]

12-32mm F3.5-5.6を買った。

 マイクロフォーサーズ(μ4/3)規格の交換レンズ12-32mm F3.5-5.6を買った。最初はアマゾンで注文したがいつ入荷するか分からない状態だったので解約し,札幌駅西口のヨドバシカメラで手に入れた。

 買うことにしたのは「普段持ち歩けるカメラ」が欲しかったからである。CanonのS90を手放してμ4/3にして以来,カメラをいつも鞄に入れておくということをしなくなってしまった。そのことは前にも書いた。その状態を解消するための選択肢を,最近,2つ考えていた。1つは富士フイルムXQ1を買うこと,もう一つが12-32mm F3.5-5.6をE-PL5に装着することだった。

 XQ1は魅力的なカメラだと思う。センサーサイズが2/3でそれなりに大きいし,撮像素子も高画質を謳うメーカー独自開発のものである。レンズのスペック(25-100mm F1.8-4.9)だって悪くない。通勤帰りにちょっと何かを撮るくらいなら十分役立ってくれるように思われた。

 が,結局は交換レンズを選ぶことにした。理由は幾つかあるが,やはり画質である。そもそもかつてS90を手放したのは,その画質に対する不満のためだった。XQ1でも同じことになる可能性は低くない。それならば,画質に満足できることが分かっているE-PL5を活用するほうがいい。

 買ってみて,(まだ使っていないが)既に非常に満足している。格好いいのである。黒色のE-PL5に装着すると,とてもよく似合う。少し重いし,カメラジャケットがブカブカになる。それでも,まるでこのレンズはE-PL5のために作られたのではないかと思うほど,よく似合ってくれている(興味のある方はμ4/3のマッチングシミュレーションのページで確かめてほしい)。

 この宝物は,持ち出すこと自体が楽しみになりそうだ。

[編集]

『ねじまき鳥クロニクル』第1部【6】

 村上春樹『ねじまき鳥クロニクル』第1部 泥棒かささぎ編(新潮文庫)を読んだ。

 語り手は法律事務所を辞めたばかりの「僕」である。飼い猫がいなくなるところから「僕」の周辺が少しずつおかしくなり始める。『海辺のカフカ』でもそうだったが,幾つかの奇妙な事件が同時並行的に進行する。

 話の1つは,近所の少女笠原メイと近所の空き家のことである。猫を探して家の近くの路地を歩いている時「僕」と知り合った。彼女は学校をサボってアルバイトをしたりしていて,「僕」はそれに付き合ったりしている。それが妻との関係に微妙な影響を与えていく。

 妻のクミコが猫探しを依頼した相手の加納マルタとその妹クレタの話が,最も奇妙である。マルタは「体の組成」と水に強いこだわりを持っていて,超自然的な感覚で物事を言い当てる名人らしい。「僕」に対しても謎めいた予言をするが,第1部ではほぼ伏線が張られるだけで終わる。クレタはクレタで奇妙な女性で,これも中盤で「僕」を訪れ,身の上話をして帰る。

 「僕」に架かってくる謎の電話のこともある。声の主は女性で,「僕」のことを知っているらしい。「人と人は10分あれば分かり合える」という意味のことを言いながら卑猥な話をしてきたりする。この電話については第1部では多くの展開がないが,今後の重要な伏線になることは間違いない。

 旧日本軍人の本田伍長と間宮中尉という人物も登場する。「僕」の夫妻と関わりのあった本田伍長が死んだ。その形見分けを頼まれたのが間宮中尉だった。間宮の訪問を受けた「僕」は,満州における間宮の地獄のような経験が語られるのを聞くことになる。

 事件相互の関係は第1部ではまだ分からない。第2部も早く読みたいと思う。

[編集]

スマホを変えた。

 スマホを変えた。

 これまではシャープの101SHという機種で,テンキー付きのものだった。ガラケーからの乗り換えにはちょうど良いと思って買った。確かに悪くはなかったし,これでスマホの操作に慣れることもできた。これにして正解だったと思っている。

 が,不具合が出た。液晶のフィルムが端から剥がれてきたのである。といっても不良品だったわけではない。保護用フィルムを剥がそうとした時に本体のフィルムの奥まで爪を入れてしまったために,一緒に剥がれてきた。月々割がなくなるのがもったいないから我慢して使っていたが,臨時収入があったのを機に機種変更に踏み切った。

 札幌駅西口のヨドバシカメラに行って,シャープのAQUOS PHONE Xx 206SHを買った。画面は5インチで大きい。このサイズを選んだのには2つ理由がある。1つはアルバム代わりにするためだ。写真を画面サイズに合わせて編集してからスマホのSDカードに入れれば,写真集ができ上がる。もう1つはブラウザとして使いやすいものが欲しかった。

 買い替えてから2日経つ。実に快適になった。これならもう少し早く機種変更をしておけば良かった,と今は思っている。

[編集]

『ねじまき鳥クロニクル』第2部【7】

 村上春樹『ねじまき鳥クロニクル』第2部 予言する鳥編(新潮文庫)を読んだ。

 第2部では,「僕」の周りから大切なものが失われていく。

 妻の失踪。加納マルタと綿谷昇と「僕」の会談。208号室の夢。井戸の底と笠原メイと加納クレタ。顔にできたあざ。妻からの長い手紙。叔父との会話。ギターの男と野球のバット。笠原メイのさよなら。クレタ島からの葉書。間宮中尉との手紙。プール。

 電話の女の正体。

 ――物語は急展開する予感を見せつつ,第3部へと続く。

[編集]

『ねじまき鳥クロニクル』第3部【8】

 村上春樹の『ねじまき鳥クロニクル』第3部(新潮文庫)を読んだ。これで物語は完結である。

 失踪した妻クミコを探し出す(あるいは助け出す)ために涸れ井戸の底に夜な夜な入る主人公は,遂にクミコ(の精神の一部分)が待つパラレルワールドに入り込み,義兄綿谷ノボルと対決することになる。…とだけ書くと何だか意味不明なオカルト小説のように思われるに違いない。読み終えた印象は実際そんなところだった。

 理解できない部分も多いが,面白くなくはない。精神世界や夢の世界が現実世界に直接作用してくるという設定をもう少しすんなり受け入れられたら,もっと楽しめたかもしれない。ぼくはこの手の話に今一つ馴染めていないが,手元にはまだ『1Q84』がある。これを読んでから,村上作品をさらに読み続けるかどうかを考えたい。

 これで年初から数えて8冊を読んだことになる。いいペースだ。

[編集]

プロフィール

もじゃぽっくる

Author:もじゃぽっくる
神戸在住/35歳/男

カテゴリ
月別アーカイブ
検索フォーム
リンク
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。