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『風塵抄』【1】

 司馬遼太郎『風塵抄』(中公文庫)を読んだ。

 司馬遼太郎の歴史小説をあらかた読み終え,今はエッセイを漁っている。エッセイ集『風塵抄』はそのほとんどが執筆当時の世間をテーマにし,少なくとも潜在的な主題として書かれている。昭和の末から平成の初めにかけての土地バブルがいかに人々を堕落させたかということが繰り返し現れているし,ソ連に関する話題も少なくない。敬語の衰退についての手厳しい批評もある。歴史小説とは味付けが異なるが,これはこれで興味深い。

 今年は正月を1人で札幌の家で過ごしている。元日は遊んで暮らした。が,4月には異動が待っていて,たぶんGWくらいまでは読書の時間もないに違いない。そうなるまえに,冬の休日は1日1冊ずつでも読んでいきたい。
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『深夜特急』第6巻【2】

 沢木耕太郎の『深夜特急』第6巻を読んだ。これで完結である。

 第6巻はイタリアから始まる。長靴のかかとの部分,アドリア海に面したブリンディジがスタートだ。ここからローマとフィレンツェ,モナコを通ってパリに行く。スペインとポルトガルに寄り道した後,1年に及ぶ旅をロンドンで終えた。

 イタリアのローカルバスの車内では知り合った乗客たちと会話をし,マドリードのバルではワインを片手に見知らぬ客たちと飲みあかし,リスボンでは街路でファド・レストランのファドを立ち聞きする。パリでは牡蠣売りのおじさんとワインを飲んだりもしたらしい。

 著者は,ため息が出るほど豊かな旅をしている。

 旅の豊かさは旅人の感受性の豊かさに比例する。私に著者と同じ濃度の旅ができるわけはないし,それに挑戦しようとも思わない。できることはただ,上に書いたエピソードに胃袋を刺激されて,近所のスーパーに牡蠣を買いに行くことくらいである。

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『司馬遼太郎が考えたこと』第2巻【3】

 『司馬遼太郎が考えたこと』第2巻(新潮文庫)を読んだ。昭和30年代に書かれたものとは信じられないほど,文章は古びていない。アマゾンで12巻まで買ってある。ゆっくりと,年内に全巻読めればいいと思っている。

 この連休はほとんどずっと家にいた。有意義なことはほとんどしていない。ポルトガル語を多少勉強したほかは,テレビを見,4月の異動先が金曜に分かったことの祝杯を日曜にあげ,そのまま二日酔いになった程度のことである。月曜の今日,文字を目で負うにもかすんでしまうのだが,今年は本は週1冊のペースで読まなきゃと思ってようやく読んだ。

 いくら面白くても,同じ作家の本ばかり読んでいると食傷気味になってくる。次に読む本は司馬遼太郎以外のものにしたほうが良さそうだ。以前買って読まずに置いておいた村上春樹でも手に取ってみようかと思っている。

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『海辺のカフカ』【4-5】

 村上春樹『海辺のカフカ(上・下)』(新潮文庫)を読んだ。

 作中では2つの物語が交互に語られる。

 1つは家出少年の話。東京で父親と2人暮らしの少年が15歳の誕生日に家を出て,高松にやってくる。甲村(こうむら)記念図書館という私設図書館に通って本を読む日々を送っていたが,あるとき(外出中)気付くと血まみれになって意識を失っていた。その数日後,血まみれの日に父が刺殺されたことを新聞で知る。少年は幼いころに父から,お前は父を殺して母と交わるという予言をされていた。自分は夢の中で父を殺したのではないか。その謎と失踪した母に関わる探求が,1つ目のストーリーになっている。

 もう1つの軸は,猫と話をすることができる老人「ナカタさん」の話。ナカタさんは文字が読めない。書くこともできない。小さいころある事件で読み書きの能力を失った。ただ,なぜか猫と話をすることができるようになった。それで猫さがしの名人と評判になっているという人である。その彼がゴマという子猫を探しているうちに,猫殺しの男と対決することになる。

 2つの物語はいずれ交錯することになる。そのストーリー展開の面白さがまずはこの本の魅力の一つであるプロットの面白さ,ひいては読者を楽しませるというサービス精神の点で,読む価値がある本だと思う。

 が,もちろんそれだけで上下2冊,合計1000頁以上の文章を読ませるわけではない。

 まずは文学論や音楽論の魅力である。フランツ・カフカの「流刑地にて」,源氏物語,夏目漱石の「坑夫」などの文学作品や古典,あるいはハイドンやベートーベンなどの音楽について深い(と見える)考察を登場人物が加える場面が随所にちりばめられている。それは時に過剰ともいえる色彩を放っているが,この種の文章を初めて読んだ人間にとって,新鮮で知的好奇心を刺激されるものであることは否定できない。

 風景や心象の詳細な記述もまた魅力の一つだ。小説でその豊かな表現を味わうことは,それ自体が楽しみである。

 他方で少し分かりにくいところもある。猫と話のできる男が主人公の1人である,という設定自体が突飛なものだ。この設定は物語の早い段階で語られる。その時点において,この小説がSFかファンタジーに属することが宣言されている。だから,その後の展開でどんな超常現象が起こってもアンフェアではない。

 が,そのSF的(あるいはファンタジー的)要素をその後どれだけ詰め込むことが読み手によって受け入れられるのかということは,別問題である。幽霊が現れ,ある人物が空から魚や蛭を降らせ,不老不死の旧日本軍兵士が出てくると,違和感(もっと言えば拒否感)を持つ人も出てくるだろう。個人的には作品世界に入り込めない自分を常に感じていた。

 露骨な性的描写が多いことについても,どこまでその必然性があるのかぼくの理解の及ばない部分があった(特に下巻)。もちろん,作者にとっては,なければならないディテールだったに違いない。ただ,それは,読む人を選ぶことになるし,誰にでも勧めるわけにはいかないという結論にもなる。

 これまで村上春樹は読んだことがなかった。周りにも読む人がいない。評判がいいのは知っていたが理由もなく敬遠していた。読んでみた結果,それなりに面白かったし,他の作品も読んでみたいとは思っている。ただ,今のところ,中毒になるほど強烈な吸引力を感じるには至っていない。本棚にある『ねじまき鳥クロニクル』を読めばもう少し村上作品のことが分かってくると思っている。

 取りあえず『1Q84』全6巻をアマゾンで注文しておいた。

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『ねじまき鳥クロニクル』第1部【6】

 村上春樹『ねじまき鳥クロニクル』第1部 泥棒かささぎ編(新潮文庫)を読んだ。

 語り手は法律事務所を辞めたばかりの「僕」である。飼い猫がいなくなるところから「僕」の周辺が少しずつおかしくなり始める。『海辺のカフカ』でもそうだったが,幾つかの奇妙な事件が同時並行的に進行する。

 話の1つは,近所の少女笠原メイと近所の空き家のことである。猫を探して家の近くの路地を歩いている時「僕」と知り合った。彼女は学校をサボってアルバイトをしたりしていて,「僕」はそれに付き合ったりしている。それが妻との関係に微妙な影響を与えていく。

 妻のクミコが猫探しを依頼した相手の加納マルタとその妹クレタの話が,最も奇妙である。マルタは「体の組成」と水に強いこだわりを持っていて,超自然的な感覚で物事を言い当てる名人らしい。「僕」に対しても謎めいた予言をするが,第1部ではほぼ伏線が張られるだけで終わる。クレタはクレタで奇妙な女性で,これも中盤で「僕」を訪れ,身の上話をして帰る。

 「僕」に架かってくる謎の電話のこともある。声の主は女性で,「僕」のことを知っているらしい。「人と人は10分あれば分かり合える」という意味のことを言いながら卑猥な話をしてきたりする。この電話については第1部では多くの展開がないが,今後の重要な伏線になることは間違いない。

 旧日本軍人の本田伍長と間宮中尉という人物も登場する。「僕」の夫妻と関わりのあった本田伍長が死んだ。その形見分けを頼まれたのが間宮中尉だった。間宮の訪問を受けた「僕」は,満州における間宮の地獄のような経験が語られるのを聞くことになる。

 事件相互の関係は第1部ではまだ分からない。第2部も早く読みたいと思う。

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『ねじまき鳥クロニクル』第2部【7】

 村上春樹『ねじまき鳥クロニクル』第2部 予言する鳥編(新潮文庫)を読んだ。

 第2部では,「僕」の周りから大切なものが失われていく。

 妻の失踪。加納マルタと綿谷昇と「僕」の会談。208号室の夢。井戸の底と笠原メイと加納クレタ。顔にできたあざ。妻からの長い手紙。叔父との会話。ギターの男と野球のバット。笠原メイのさよなら。クレタ島からの葉書。間宮中尉との手紙。プール。

 電話の女の正体。

 ――物語は急展開する予感を見せつつ,第3部へと続く。

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『ねじまき鳥クロニクル』第3部【8】

 村上春樹の『ねじまき鳥クロニクル』第3部(新潮文庫)を読んだ。これで物語は完結である。

 失踪した妻クミコを探し出す(あるいは助け出す)ために涸れ井戸の底に夜な夜な入る主人公は,遂にクミコ(の精神の一部分)が待つパラレルワールドに入り込み,義兄綿谷ノボルと対決することになる。…とだけ書くと何だか意味不明なオカルト小説のように思われるに違いない。読み終えた印象は実際そんなところだった。

 理解できない部分も多いが,面白くなくはない。精神世界や夢の世界が現実世界に直接作用してくるという設定をもう少しすんなり受け入れられたら,もっと楽しめたかもしれない。ぼくはこの手の話に今一つ馴染めていないが,手元にはまだ『1Q84』がある。これを読んでから,村上作品をさらに読み続けるかどうかを考えたい。

 これで年初から数えて8冊を読んだことになる。いいペースだ。

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『池上彰のやさしい経済学』【9】

 『池上彰のやさしい経済学』(日経ビジネス文庫)を読んだ。

 羽田空港で買った。宇都宮に行って来て,『海辺のカフカ』の上下巻をどちらも読み終えてしまったからである。小説ばかり読んでいてもと思って手に取ったのがこの『やさしい経済学』だった。NHK教育の「オイコノミア」が毎回面白いので,経済学の本を何か1冊読んでみたいと思ったという事情もある。

 最初のほうは「分かりきったことが書いてあるなあ」という印象で途中で放棄しようかと思ったが,読み進んでいけば,アダム・スミス,マルクス,ケインズ,フリードマンの4人の経済学者の学説を分かりやすく解説してくれていてそれなりに面白いし,譬え話やコラムもよく工夫されている。

 個人的には内容が軽すぎる気がしたが,公平に見て600円の価値はあるように思われた。

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『歴史を紀行する』【10】

 司馬遼太郎『歴史を紀行する』(文春文庫)を読んだ。

 久々に,個人的な保存版と思える本に出会った。これまでも司馬作品は好きで多くの歴史小説を読んできた。それらももちろん面白かったが,正直言えば最近読んでいるエッセイには少し食傷気味でもあった。最初に司馬作品(街道をゆく第1巻)を読んだ時の感動が蘇ったのが,この『歴史を紀行する』である。

 著者はこの本で,高知,会津若松,鹿児島など,「その風土性に一様性が濃く,傾斜がつよく,その傾斜が日本歴史につきささり,なんらかの影響を歴史の背骨に与えたところの土地を選んだ」(あとがき)という国を12か所選んで訪れ,その土地と人間を書いている。

 土佐については例えばこうである。

「土佐人は議論を肴に酒をのむ。(中略)
 飲み屋街に身を置いていてたれでも気づくところは,(中略)議論である。(中略)こんどの旅行中でも,背中あわせの一座から,すさまじい議論をきいた。
『犬が利口か,猫が利口か』
 ということであった。」

 思わず吹き出してしまうような挿話を挟みつつ,土佐人の黒白を曖昧にしない議論好きの風土が尊王攘夷運動や脱藩や自由民権運動になっていったことを論じている。

 12の国に対する司馬の深い理解が,あくまでも優しいその眼差しを通して,ユーモアにつつまれた簡潔な言葉で表現される。それに,1章(1国)当たり22~24頁の短い文章なので,そういう意味でのテンポもよい(著者はしばしば紙数が足りないと嘆いているが)。

 間違いなく,何度も読み返す価値のある1冊である。

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『ビブリア古書堂の事件手帖5』【11】

 三上延『ビブリア古書堂の事件手帖5』(メディアワークス文庫)を読んだ。

 以前「次巻が待ち遠しい」と書いた連作の最新作である。今回も相変わらず面白い。

 第4巻は1冊の長編だったが,今回は中編3編(+プロローグとエピローグ)という以前スタイルに戻った。もっとも今巻では各章ごとに「断章」という部分が設けられている。本章の語り手とは別の人物が真の謎解きを語ったり,あるいは物語を補完したりするという要素が加えられた。この手法も,読み手にとっては変化があって,楽しめる。

 主人公の古書に関する膨大な知識と天才的な洞察力を活かした推理ものという珍しいスタイルでありながら毎回マンネリにならずに新しい謎解きを用意できる著者に対しては,尊敬の念を抱いている。

 あと書きを見る限り次巻で完結というわけではないようだが,取りあえず第6巻が完成するのを楽しみに待ちたい。

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司法批判2冊【12-13】

 瀬木比呂志『絶望の裁判所』(講談社現代新書)と森炎『司法権力の内幕』(ちくま新書)を読んだ。どちらも一言でいえば元裁判官による司法批判書である。が,内容はかなり違っている。読み比べると面白い。読みやすいのは森氏の本のほうだった。

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『池上彰のやさしい経済学』2【14】

 『池上彰のやさしい経済学2 ニュースがわかる』(日経ビジネス人文庫)を読んだ。2月2日に読んだものの続巻である。結論として,読んで良かった。

 日本の戦後経済史を中学生向けに噛み砕いて書いてくれた本だと思えばいい。毎日きちんと新聞を読んでいるほどのまともな社会人なら読まなくてもいいような本ともいえる。が,私は戦後日本史のことがさっぱり分かっていなかったので,この本がそれを経済面から易しく解説してくれて,ありがたかった。

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『螺鈿迷宮』【15】

 海堂尊『螺鈿迷宮』(角川文庫)を読んだ。

 テレビで放送されているものの原作だ。「立花」という人物が碧翠院桜宮病院を訪れてから行方不明になったのでその謎を解く,そこに立ちはだかるのは桜宮巌雄院長と2人の娘,という構図は同じだが,ストーリーの重要な部分の変更もかなり多い。だいたい主人公が違っている(小説では天馬大吉が語り手だが,テレビシリーズでは田口公平=白鳥圭輔のコンビで話が展開する)。

 面白かったので関連作品を調べてみた。海堂作品は,ある作品の設定がそのまま他の作品でも生きていて,同じ登場人物があちこちに顔を出し,ある作品の事件が別の作品で語られたりもする。それが「桜宮サーガ」と呼ばれる一大ワールドを展開しているらしい。『螺鈿迷宮』の語り手・天馬大吉も別の作品に顔を出すようだし,過去の時点を舞台にした作品には桜宮巌雄も登場するようだ。

 伊坂ワールドの作品館の繋がりをより強くしたような印象を持つ。ムアコックに近いかもしれない,というと語弊があるか。とにかく何だか嬉しくなった。こうなると,俄然,全作品を読みたくなる。また本棚がいっぱいになりそうだ。作者の術中にはまっていることを意識する。それがまた心地いい。

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『最高裁の暗闘』【16】

 山口進ほか『最高裁の暗闘 少数意見が時代を切り開く』(朝日新書)を読んだ。

 副題にあるとおり,最高裁判決における少数意見の影響力に焦点の一つを当てている。ある時点の最高裁判決において多数意見とならなかった意見(反対意見や補足意見)が後に多数意見を形成したり,争点の異なる別の事件で最高裁判例になったりすることがあるという点を,幾つかの最高裁判決を具体的に挙げて捉えている。興味深い。

 それから,最高裁判決ができるまでの意見の形成過程についての裏話も少なくない。高裁で原告(市民側)が敗訴した事件について,最高裁調査官が「棄却相当」との意見を述べたのに対し,最高裁の主任裁判官が嗅覚鋭く法律上の問題点に気付いて,審理の結果,最終的には高裁判決を破棄するに至った例などが紹介されている。よく調べたものだ。

 先日読んだ司法批判2冊が元裁判官による(多分に主観的な,あるいは限られた範囲の見分に基づく)暴露本の類であるのに対し,これは新聞記者のルポで,性質が全然違う。良い悪いの問題ではないが,『暗闘』は一読の価値あり。

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『将棋・序盤完全ガイド』【17-18】

 上野裕和『将棋・序盤完全ガイド 相居飛車編』と同『振り飛車編』(マイナビ)を読んだ。

 名著である。その高い評価は,アマゾンなどにも多くの読者から投稿されているとおりで,特に付け加えることはない。将棋における序盤戦がどのように発展してきたのか,この定跡はなぜ指されなくなったのか,現在最先端の序盤戦はどうなっているのかを,将棋のルールを覚えたてくらいの人でも分かるくらい明快に教えてくれる。このような本はこれまでになかった。目から鱗が落ちる,というのはこういうことをいうのかと思わせる本に久々に出合えた。

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『司馬遼太郎が考えたこと』第3-10巻【19-26】

 『司馬遼太郎が考えたこと』第3巻から10巻まで(新潮文庫)を読んだ。

 記録に付けるのを怠っていたが,実際には3月から8月にかけて少しずつ読んでいた。ただ,このブログにメモを付ける時間が取れなかった。

 全体としては,やはり面白い。しかし,前にも書いたとおり,いくら面白くても,同じ作家の本ばかり読んでいて食傷気味になってきた。それから,エッセイ集には,どうしても,同時代人にしか分かりにくい文章というのが紛れ込んでくる。特に追悼文の類のものや企画展の紹介文のようなものは,今の私が読んでも理解が届かない。

 結局,読んでも頭に入ってこないエッセイは,理解しようとすることは諦めて,飛ばし読みしてしまった。それで1冊の本を読んだとするのも少しずるいような気がするが,一応最後までページはめくったという意味で,記録だけしておきたい。

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プロフィール

もじゃぽっくる

Author:もじゃぽっくる
神戸在住/35歳/男

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