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『王城の護衛者』【1】

 司馬遼太郎『王城の護衛者』を読んだ。

 この短編集には好きな作品が多い。

 一番は「鬼謀の人」。幕末の長州に現れた希代の軍師村田蔵六(大村益次郎)がその主人公である。幕府の第二次長州征討に対して石州口を担当して天才的な用兵でこれを撃退し,無血開城後の江戸に幡居する彰義隊2000を僅か1日で滅ぼす才能は,諸葛孔明に比せしめられる。村田蔵六は,後日,『花神』で長編小説としても描かれている。

 「英雄児」も面白い。越後長岡の筆頭家老河井継之助の話である。幕末の長岡で火力重視の富国強兵策を取り,藩をスイスのような独立国にすることを目指す。しかし官軍との激戦を演じて戦死した。継之助についても作者は後日『峠』という長編にしている。両者で,継之助の描き方が微妙に違う。読み比べると面白い。

 表題作「王城の護衛者」は京都守護職松平容保に,「加茂の水」は幕末に官軍の錦旗を作った玉松操に,「人斬り以蔵」は武市半平太のもと京で暗殺に明け暮れた剣客岡田以蔵に焦点を当てている。どれも,良い。
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『夏草の賦』【2-3】

 司馬遼太郎の『夏草の賦』を読んだ。長曽我部元親。土佐を平定し,四国を切り取ろろうとし,現に切り取り,それを秀吉に攫われた英雄の一生を描いた物語である。

 この物語は時空を超えて他の物語と繋がっている。

 横軸は『国盗り物語』と『新史太閤記』に。信長が興り,光秀に滅ぼされ,秀吉が天下を統一する。それと並行して元親は四国を切り取っていた。その座標の斜め下には『関ヶ原』と『城塞』がある。元親の子盛親が三成に付いて敗北し,大阪の陣で滅びるに至る。

 縦軸では,下って幕末,竜馬が出て将軍に大政奉還を決めさせたところに。天皇を唯一の君主とし,他を等しく臣民として位置付ける。そこに徳川時代のような複雑な上下関係はない。その平等思想の淵源が,元親の一領具足制(国民皆兵制)にある。

 その交差点に,元親がいる。

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『功名が辻』【4-7】

 司馬遼太郎『功名が辻』を読んだ。

 山内伊右衛門一豊と千代の夫妻を主人公にした歴史小説である。一豊は,初め織田家に仕え,次いで秀吉の下で働いて掛川6万石城主となり,最後は家康に与して土佐24万石の国主となった。小説では,一豊を動かした千代の機略が余すところなく描かれており,興味深い。大河ドラマにもなった。

 が,読後感が良くない。

 一豊は家康から土佐一国を与えられた。与えられたものの,国内では長宗我部の残党が反乱を繰り返し,容易に治まらない。初めはその都度鎮圧していた。最後は,郷村の武勇自慢の者を反乱予備軍とみなし,これを詐略で一箇所に集めて皆殺しにする。そこで本編が終わる。

 『新史太閤記』はそうではなかった。秀吉を描いた長編である。この小説で,司馬は,秀吉の幼少期から,信長の下で頭角を現し,やがて中国戦線を任され,本能寺後に光秀を滅ぼし,勝家を破り,家康を臣従させて天下を取るところまでを扱った。外政と乱費で諸侯の恨みを買った秀吉の後半生にはあえて触れていない。

 2人の主人公に対する司馬の視線の温度差が見えるようである。

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『ストーリー・セラー』【8】

 新潮文庫の『ストーリー・セラー』を読んだ。

 7人の作家が書いた100頁弱ずつの小説が収まっている。手に取った理由は2つ。伊坂幸太郎の小説が入っていることと,そろそろ他の作家の作品も読んでみたいと思ったことだ。この本は,その2つの要請を両立させてくれた。

 伊坂幸太郎の「首折り男の周辺」。首を折る方法で殺人を繰り返す殺し屋と,それに似た男と,最近引っ越してきた隣人がその殺し屋ではないかと疑う夫婦と,いじめられっ子の少年。4者の話が絡まりあって1つの物語を成してゆく展開の妙は,読んでいて心地いい。

 道尾秀介の「光の箱」も気に入った。童話作家が帰郷して高校の同窓会に向かうところから物語が始まる。かつての恋人は来るだろうか。回想が始まり,――いろいろあって――,意外な結末を迎える。伏線が張り巡らされ,随所にトリックもちりばめられていて,最後にニヤリとしてしまう。読後感も良い。

 有川浩の「ストーリー・セラー」も悪くない。設定に違和感を覚える部分もあるが,最後は泣ける。佐藤友哉の「333のテッペン」は,東京タワーのてっぺんに男の死体があったのはなぜかという謎解きもの。木多孝好の「ここじゃない場所」は,同級生の男子が瞬間移動するのを目撃した女子高生がその謎を追い掛ける話。それぞれ読み応えがある。

 買って,まずまず正解だったと思う。

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『バイバイ ブラックバード』【9】

 伊坂幸太郎の『バイバイ ブラックバード』を読んだ。

 主人公の男が,借金の果てに,<あのバス>で連れて行かれる。その前に5人の恋人に別れを告げに行く。同行するのが,彼の監視役で,体長190cm,体重200kgの粗暴な怪物女の繭美だ。軽妙洒脱な文章はこの小説でも健在で,話の展開も面白く,一気に読み切った。

 終わり方にモヤモヤするところが残る,というコメントがネット上では散見される。確かにそういう面はある。作者自身,巻末のインタビューでそれを認めている。が,描かれなかった部分を読者の想像力に委ねるだけの伏線は本文中に十分張られてあると考えていいだろう。

 余談ながら,この本はアマゾンで注文した。最近ここで本を買うことが多くなった。何より品揃えが充実している。本の検索も容易で,ある本を検索したら関連書籍が表示されるのも購入意欲をそそる。それに,古本も登録されていて,絶版の本でもかなりの確率で買えるのがいい。デュマの『ダルタニャン物語』など,昔は見付けるのに随分苦労したが,アマゾンなら数分で全巻が手に入る。中毒になりそうだ。

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『軍師二人』【10】

 司馬遼太郎『軍師二人』(講談社文庫)を読んだ。

 戦国末期から大阪の陣あたりまでの時代を舞台にした短編が8つ収められている。史実にほぼ忠実と思われる表題作「軍師二人」や「嬖女守り」からほぼ虚構の「雨おんな」「一夜官女」まで多彩な組み合わせだ。『国盗り物語』→『新史太閤記』→『関ヶ原』→『城塞』と『覇王の家』を読んだ後,そこからのこぼれ話として読むなら,それなりに面白いのではないか。

 最近は家で本を読むことが多い。札幌市内にはまだまだ雪が残っている。気温が零度を上下する。雪が解けては凍り解けては凍り,スケートリンク状態で,外に出るのが億劫だ。それで家にこもっている。

 本を読むのに音楽をかけることが多い。最近はジャズを流している。曲は専ら,「ジャズ大好き」というサイトの「管理人のお勧め:最初に揃えたいジャズの名盤」で紹介された13枚のCDを順繰りに回している。特別すきなわけではない。ただ,カフェにでもいるような雰囲気を作ってくれるのがいい。

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『ストーリーセラー2』【11】

 沢木耕太郎ほか『ストーリーセラー2』(新潮文庫)を読んだ。

 沢木の「マリーとメアリー」は,小説でなくエッセイである。ニュージャーナリズムの旗手と呼ばれた筆者の本を,以前は随分読んだ。『人の砂漠』の「おばあさんが死んだ」で,老婆の孤独死事件に出会った筆者は,彼女の人生がどんなものだったのかを知るために取材を重ねていく。真実を追及するというのはこういうことかと強い衝撃を受けた。以来,沢木耕太郎のファンである。

 話がそれた。このアンソロジー所収の「マリーとメアリー」は,カクテルのブラッディーマリーに関する幾つかの挿話と空想を組み合わせた小品である。それこそ瀟洒なバーでカクテルを飲みながら語って聞かせてもらえたらいい気分になれそうな話だった。「面白いお話,売ります」というこのアンソロジーの趣旨には合った随想だと思う。そういえば深夜特急』をまだ読んでいない。アマゾンで注文しよう。

 伊坂幸太郎の「合コンの話」。物語のあらすじが冒頭に書かれてしまっている。結論さえ露わにされている。「人生は変わらない。」と。しかし,本文に入ると,何かが変わるのではないかと思わせる話が次々と展開する。結論が冒頭に示されていることを忘れ,どういう結末になるのだろうと思って読み進めていくと――。

 有川浩「ヒトモドキ」は,両親と姉弟の家族の住む家に,ゴミをそこここから拾い集めてくる薄汚い浮浪者のような伯母が転がり込んできてさんざん迷惑を掛ける話。こんな人間が親族にいたら心底嫌だろうなあ…と思わずにはいられなくなる。そういえば,『ストーリーセラー』第1巻のほうの有川の小説にも,主人公の周辺にそういう迷惑な親族が脇役として登場した。他を読んだことがないので何とも言い難いが,有川作品の特徴の一つなのだろうか。

 他に4作品を所収。

 7人の作家の,それぞれに趣向の違う作品が収められている。(どれとは言わないが)偽善的で読後感の悪いものが含まれていたとしても,それはそれで愛嬌というものかもしれない。まあ,「合コンの話」を読むためだけに買っても損はないのではないか。伊坂ファンにとって,裏切られた感じはしないと思う。

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『おれは権現』【12】

 司馬遼太郎の『おれは権現』を読んだ。

 戦国末期から大阪の陣までの時代を舞台にした時代小説と歴史小説の短編集である。

 福島正則を描いた「愛染明王」は,秀吉や家康を扱った他の作品に脇役としてよく出てくる人物が主人公になっていて,ついつい愛着がわいてしまう。長編と違って主人公の全体像を緻密に描写していく重厚感はないものの,目新しいエピソードを重ねつつ正則の持つ滑稽味と悲哀感を浮き彫りにする筆力は,司馬遼太郎ならではである。

 道頓堀を作った土豪・安井道頓を扱った「けろりの道頓」は,逆に,他の作品で言及されていない人物を取り上げている。筆者自身が冒頭で断っているように,道頓については史料がほとんど残っていないらしい。だから他の作品の脇役として登場させるのが難しかったものであろう。その人物に地を肉を与えたこの小説は,特に読後の余韻の格別なものに仕上がっている。

 他に5編。

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『尻啖え孫市』【13-14】

 旅行中,司馬遼太郎『尻啖え孫市』(上・下)を読んだ。

 主人公は雑賀孫市。石山本願寺に味方して信長と戦った戦国の武将だ。雑賀党は戦国時代の傭兵集団である。領土的野心を持たず,諸国の大名に雇われて働く。鉄砲をよくし,その軍事力は大名たちの力関係を左右する鍵となっていたようである。織田軍と戦っては連戦連勝の強さを見せた。孫市は一度も織田群に負けていない。それでも時勢は信長・秀吉の天下へと流れて行く。

 本能寺の後,秀吉との戦いを前にして孫市は死んだ。筆者は言う。「このときをもって戦国はおわった,といっていい。なぜならば孫市はこの時代の地侍の典型というべき漢(おとこ)だった。その小地戦闘のうまさ,その底抜けの楽天主義,傲岸さ,明るさ,そして愛すべき無智,すべて孫市はそなえていた」と。

 この結びの部分に,作者の思いの全てが集約されているのだろう。

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『ビブリア古書堂の事件手帖』【15】

 三上延『ビブリア古書堂の事件手帖』(メディアワークス文庫)を読んだ。

 東北旅行に持って行った本を読んでしまって,本を探した。羽後本荘駅のコンビニで『ビブリア』を見付けた。しばらく前に職場の同僚から勧められていたので迷わず買った。

 推理小説である。話は四話の短編から成る。北鎌倉の「ビブリア古書堂」という古書店の美人店主が,古書に関する謎を解いていく話だ。第1話では,語り手の五浦大輔(古書堂のアルバイト)が祖母から譲られた古書,岩波書店の漱石全集第8巻「それから」にある奇妙な書き込みの正体を暴いてゆく。

 軽く読める。読後感も良い。主人公の設定や言動が男性にとってかなり都合よくできているのが気になるが,そんな悪い味付けでもない。買って正解だった。4巻まで出ているらしい。近いうちに続きも読もうと思っている。

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『十一番目の志士』【16-17】

 司馬遼太郎の『十一番目の志士』を読んだ。

 架空の剣士・長州の天堂晋助が京,大坂,江戸,長州など天下で人を斬りまくる話である。作者も,この小説がほぼ完全な虚構であるために,幕末のオールスターを自由自在に登場させている。

 読んでいて決して退屈はしない。が,西郷や竜馬の描き方など,物足りなく感じる部分も多い。司馬のフィクションの限界だろう。この著者の歴史小説に何を期待するかによって,楽しめるかどうかが違ってくるのかもしれない。

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『深夜特急』第1巻【18】

 沢木耕太郎『深夜特急』の第1巻を読んだ。

 旅行記として不朽の名作だと言われている。むかし友人に勧められた。それから十数年が経った。ようやく読む気になって,手に取った。

 場面はインドのデリーから始まる。ここから乗合バスでロンドンまで行くことになっている。が,そこの安宿で,滞在期間が延びに延びてゆく。どうして今そこでそうしているのか――。

 旅の始まりに時間が戻る。

 インドのデリーからロンドンまで乗合バスで行けるか。沢木は友人たちと賭けをして旅立った。デリーまでのフライトの途中,航空券の特典で,2つの都市に滞在することができる。沢木はまず香港に降り立った。

 「黄金宮殿」という怪しげな名前の怪しげな安宿に投宿し,香港の街を歩くと,その熱気に掴まり,予定外の長居をしてしまう。隣のマカオにも立ち寄った彼は,博打に熱中し,ディーラーのイカサマを逆手に取って大儲けしようと企むが,…。

 評判どおり,面白い。が,今の自分にとって,この本を,自分の身に置き換えて読むことができない。30代も半ばになって,現状に不満はなく,結婚もして落ち着いた生活をしているうちに,旅への憧憬そのものが薄れてしまった。もう少し若い時に読むべき本だと思う。最後まで読もうとは思うけれど,それはどこか,教養としての古典としての接し方にならざるを得ない。

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『トルコのもう一つの顔』【19】

 小島剛一『トルコのもう一つの顔』(中公新書)を読んだ。

 著者はフランス在住の言語学者である。トルコの少数言語を研究するため毎年夏にトルコに長期滞在した。

 研究の旅は,トルコ人の親切に感動するところから始まる。しかし,クルド人問題を抱えるトルコでの調査は身の危険と隣り合わせだった。当時のトルコは,少数「言語」の存在すら認めていない。それらはトルコ語の「方言」である。別言語ではない――。それに反する見解は,少数民族の分離独立運動に根拠を与えるものとして,迫害の対象となる。

 著者は,ある時は反政府運動家と間違われて真夜中に叩き起こされて拘置所に監禁され,またある時は政府のお目付け役が同行して何かと調査を妨害してくる。その苦労を乗り切って,それぞれの言語で現地の人々と交流し,信頼を勝ち得,友人となっていく過程には,目を瞠るものがある。

 文句なしの名著だ。私の文章ではその魅力が伝わりにくいと思うが,繰返し読む価値がある。続編も単行本で出たようだ(『漂流するトルコ―続「トルコのもう一つの顔」』,旅行人)。早く新書版でも出してほしい。

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『故郷忘じがたく候』【20】

 司馬遼太郎『故郷忘じがたく候』を読んだ。

 3つの短編から成る。

 表題作「故郷忘じがたく候」は,小説というよりはエッセイである。秀吉の朝鮮侵略の時に薩摩に来た朝鮮人の陶工たちの運命と誇りを描いた佳作である。

 「斬殺」は,戊辰戦争で仙台藩を味方にすべく政府軍が派遣した長州の世良修蔵の話。彼は官軍の代表として仙台藩主に会津討伐を命じ,その権高な態度によって恨みを買って,斬首されてしまう。激動の時代にあって持つべき「政治感覚」の欠くことが自らを滅したことの典型を描いた,後味の良い作品ではないが,考えさせられる。

 最後の「胡桃に酒」は,細川忠興とその妻たま(ガラシャ)主人公にした物語である。忠興が嫉妬のあまり関ヶ原の直前に妻ガラシャを殺した話は他の小説でも度々言及されていた。だから,忠興がどのような人物なのかは気になっていた。司馬はその狂気の部分を余すところなく描いている。

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『ビブリア古書堂の事件手帖4』【21-23】

 三上延『ビブリア古書堂の事件手帖4』を読んだ。

 これまでは短編集だった。今回は長編である。江戸川乱歩の稀覯本を巡る謎解きだ。亡き資産家の愛人の家に残された金庫の鍵の在り処の探求と暗号の解読がメインとなる。作者によるとこの物語も後半に入ったらしい。

 次巻が待ち遠しい。

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『完全なる首長竜の日』【24】

 乾緑郎『完全なる首長竜の日』(宝島社)を読んだ。

 映画化されている。上映中だ。映画の前に原作を読みたくなった。

 ミステリというよりはSFである。主人公は少女漫画家の女性だ。彼女には弟・浩市がいる。浩市は自殺を図って昏睡状態にあった。植物状態にある人間の意識と交流できる装置を使って,主人公は弟と対話を続ける。しかし,その副作用か,主人公は,浩市がリアルな実感を伴って現実世界に現れる夢を繰り返し見るようになる。…。

 まあまあ,面白い。文章が洗練されていて,いい意味で軽く読める。読後感も悪くない。新本で買ったが損をしたとは思わない。

 が,読者のほとんどは,最後まで読んだ時,「真相はこうかも知れないと思った」という感想を持つのではないか。しかも,作中で提示される謎のうちの幾つかは,(理屈上は解決されているものの)実質的に未解明のまま放置されてしまう。細かい人なら怒り出してもおかしくない。その意味で,勧める相手を選ぶ作品である。

 映画版の結末は,原作とは違うであろう。そちらでは最後にどんな結末が用意されているのか。興味深いところだ。

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『桐島,部活やめるってよ』【25】

 朝井リョウ『桐島,部活やめるってよ』を読んだ。面白かった,と思う。まだよく整理できていない。映画は重要な部分で少し筋書きが違うようだ。見て確かめてみたい。早くテレビで放映しないかな。

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『菜の花の沖』【26-31】

 司馬遼太郎『菜の花の沖』を読んだ。

 江戸中期にロシア艦船に拿捕された高田屋嘉兵衛の小説である。函館旅行に行く前に読んでおけば良かった。

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『改憲の何が問題か』【32】

 奥平康弘『改憲の何が問題か』(岩波書店)を読んだ。

 平成24年(2002年)4月の自民党「日本国憲法改正草案」について,批判的に検討した本である。問題となる条文ごとにその意味合いを詳細に解説してくれている。詳細は省くが,草案と現行憲法の基本的な思想がいかに異なっているかがよく分かる。

 1600円の価値あり。

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『教室内(スクール)カースト』【33】

 鈴木翔『教室内(スクール)カースト』(光文社新書)を読んだ。

 学校,特に中学校と高校の教室内でのグループ間の力関係がどのようなものであるかを,大学1年生と教師に対するインタビューを基にして探求した修士論文を,新書向けに改訂したのが本書である。

 学校のグループは「上」と「中間」と「下」に分けられる。それは生徒にとって「権力」の違いとして認識されている。例えば「『下』には,騒ぐとか,楽しくする権利が与えられていない」(132頁)という。上位のグループの女子生徒が下位の生徒にプロフィール帳を書かせてそれをゴミ箱に捨ててしまう,というエピソード(106頁)には胸が痛むが,それは「いじめとかではない」のだそうだ。

 そしてその地位は固定され,本人の努力では変わらない。

 教師もまたカーストの存在を認識し,しかもそれは生徒個々人の能力によって生まれる当然の結果だと考えている。上位の生徒については「カリスマ性があって,雰囲気を和やかにできる」(235頁)と肯定的にとらえ,下位の生徒については例えば「100%将来使えない」「企業はそういう人間を求めない」(244頁)と考えている。

 下位のグループに属する生徒にとって,学校は,他の生徒からも教師からも,いわば全人格的に低い評価を与えられてる場だということになる。学校は,息の詰まるような場所に違いない。

 少し前に映画にもなり評判を博した朝井リョウの『桐島,部活やめるってよ』(集英社)と共通するテーマで,本書によれば他にもこの種の題材を扱った小説や漫画は多いようだ。そういう作品が数多く発表されることが,教室内に存在する序列や空気の正体は何なのか(何だったのか)という悪夢のような疑問に対する回答を欲している人々が少なくないことを物語っている。

 さらなる研究が望まれる。

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『オー! ファーザー』【34】

 伊坂幸太郎の『オー! ファーザー』(新潮文庫)を読んだ。

 伊坂作品としては久々に心から楽しめた。私が伊坂幸太郎に求めているのはこういう作品である。最近文庫版の出た『あるキング』,『SOSの猿』『バイバイ、ブラックバード』も読んだが,どれもしっくりこなかった。つまらないというのではないが,伊坂作品独特の読後の爽快感が感じられなかったのである。簡単に言えば,難解になった。

 さて,『オー! ファーザー』の文庫版の初版は平成25年7月1日で,単行本も平成22年3月である。上に上げた作品たちよりも遅い。が,元々は平成18年に新聞に連載したもので,書かれた時期はより古い。著者自身「第一期の最後の作品」(545頁)と呼んでいる。第二期の始まりは『ゴールデンスランバー』(単行本平成19年11月,文庫平成22年11月)ということで,その後に『モダンタイムス』と上の3作品が続いているようである。

 というわけで,久々に気分がいい。

 第二期以降では評判のいい『マリアビートル』も文庫化されたようなので,期待してアマゾンで注文した。

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『若者はなぜ3年でやめるのか』【35】

 城繁幸『若者はなぜ3年でやめるのか? 年功序列が奪う日本の未来』(光文社新書)を読んだ。

 有名な本なので多くの人はタイトルくらい知っているだろう。2006年9月初版第1刷発行で,今から7年ほど前のものである。

 論旨はこう。

 「年功序列とは,仕事や能力に関係なく,年齢によって給料が決まる仕組みである。これは,終身雇用を前提として,若者は会社の言いなりに働いて安い給料をもらい,年齢が上がれば皆が昇進して高給をもらうことによって,若い頃に働いた分の埋め合わせを受けるシステムである。しかし,今の会社は十分な役職を用意できず,役職に就ける若者は一握りである。これは,若者が中高年に搾取されるだけの構図であることを意味する。若者よ,それが嫌なら,自分が何をしたいのかを意識して考え,そのためのキャリアを獲得するために行動すべきだ。そのための道は幾らでもある」

 私はと言えば,年功序列の世界に既にどっぷり浸かっている。だから,本書の内容でまだ十分には咀嚼できていない部分は多い。が,この本に書いてあることには正しい面が含まれていることは否定できないと感じている。少なくとも,これから社会に出る学生たちにとって,あるいは社会に出てから自分の会社に違和感を覚えた人たちにとって,本書は一度手に取る価値があるのではないか。

 より具体的なエピソードは続編『3年で辞めた若者はどこへ行ったのか――アウトサイダーの時代』(ちくま新書)にたくさん紹介されている。こちらも,あわせて,若い人たちにおすすめだ。

 ちなみに,城氏の書いたものは,例えばJ-CAST会社ウォッチなので読むことができる。閲覧はタダなので,どういう記事を書く人かを確かめるためには,まずこのサイトを覗いてみるのもいいと思う。

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『7割は課長にさえなれません』【36】

 城繁幸『7割は課長にさえなれません 終身雇用の幻想』(PHP新書)を読んだ。『若者はなぜ3年で辞めるのか?』と『3年で辞めた若者はどこへ行ったのか』の続編である。

 論旨はこうだ。「終身雇用は現代日本では維持できない。維持しようとすれば若者の失業が増え,就職した若者は高給取りの中高年のために搾取されるだけだ。それを避けようと思えば労働市場の流動化を図るしかない。具体的には,解雇と賃下げの規制を緩和しなければならない。そうすることによって,職能給(年功序列)から職務給に移行する」。

 これは上の2冊と同じである。そして,それを繰り返し述べなければならないところに,著者の論旨がいまだに我が国の世論に受け入れられていないことが現れている。

 が,「永年勤務の中高年が仕事内容以上の高給を食み,そのツケを若者と非正規雇用が払っている」というのが日本型の終身雇用のなれの果てであり,それが不合理だという論旨は,やはり正しい部分を含んでいるように思う。

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『マリアビートル』【37】

 伊坂幸太郎『マリアビートル』(角川文庫)を読んだ。
 
 物語世界の中では『グラスホッパー』の続編で,やはり殺し屋たちの狂想曲だ。

 6歳の息子をデパートの屋上から突き落とされた元殺し屋「木村」は,犯人で殺人嗜好者の中学生「王子」に復讐するため,東京発盛岡行の東北新幹線<はやて>に乗り込むが,逆に王子に囚われてしまう。王子は,意識が回復することなく病床にある木村の息子のもとに殺し屋を派遣し,人質に取っていた。木村の息子は助かるのか。

 殺し屋の「蜜柑」と「檸檬」は,盛岡にいる裏社会の大物「峰岸」の依頼でその息子を誘拐犯から取り戻し,身代金の入ったトランクとともに新幹線に乗り込んだ。ところが,眼を離した隙に何者かにトランクを奪われ,峰岸の息子まで殺されてしまう。このままでは峰岸に殺される。彼らは犯人たちを見付け,身に迫る危機を乗り越えられるのか。

 不運に取りつかれている「何でも屋」の七尾は,依頼者から,新幹線に乗って蜜柑たちのトランクを奪ったら上野駅で降りるよう指示されていた。彼は,トランクは奪ったものの,不運にも上野駅で降りることができない。このままでは蜜柑と檸檬に見付かってしまう。彼は無事に逃げ切ることができるのか。

 という,同じ新幹線に乗り合わせた殺し屋たちの攻防を,3組それぞれの視点を交互に描いたサスペンスである。が,それらは等価ではなく,際立っているのは王子の悪である。王子は,ただ自らの嗜好のために他者をいたぶり殺害する人物であり,しかも狡猾で隙がない。作者が彼にどういう結末を与えるのか。それが,本作の最大の見所である。

 ずっと伊坂幸太郎のファンで,『SOSの猿』と『あるキング』の辺りで「何か違う」という感想を持った人にとっては,「やっと求めるものを書いてくれた」と思うのではないか。

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『余話として』【38】

 司馬遼太郎『余話として』(文春文庫)を読んだ。

 司馬氏の文章を読むのは,8月27日に『菜の花の沖』を読み終えてから1か月以上間が空いている。小説はもう読むものがほとんどなくなってしまい(完全なフィクションで未読のものはあるが,手に取る気になっていない),あとはエッセイの類が残っているだけである。

 この『余話として』は,9本のエッセイを集めたものである。読んでみて,期待以上に面白かった。例えば「策士と暗号」の冒頭は,「日露戦争前のロシア宮廷に,ベゾブラゾフという怪人物がいて,ニコライ二世の非常な信任を得ていた。」(56頁)という文で始まる。その「怪人物」がどんな人物で何をしたのか気になってしょうがなく,もう引き込まれてしまう。

 最近Amazonで買った。同時に『ひとびとの跫音』(中公文庫)や『十六の話』(同)など10冊以上買ってある。これから冬になる。家にこもって読書を楽しみたい。

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『ひとびとの跫音』【39-40】

 司馬遼太郎『ひとびとの跫音』(上下,中公文庫)を読んだ。

 正岡子規の養子(正確には子規の妹・律の養子)正岡忠三郎氏とその友人タカジを中心に,正岡子規に繋がる人々をスケッチした,エッセイの連作である。両氏は著者の友人で,しかももうこの世にいない。

 著者は「私はこの稿で…人間がうまれて死んでゆくということの情趣のようなものをそこはかとなく書きつらねている。」と書いている(下巻47頁)。それはつまり,この作品が,いわば,著者が2人のために綴った長い長い弔辞だということであろう。読み終えた時,もう二度と会えない人のことを思って,寂しさに包まれる。

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『時代の風音』【41】

 司馬遼太郎ほか『時代の風音』を読んだ。堀田善衛氏,宮崎駿氏との鼎談集である。

 東京出張の後に少し立ち寄った渋谷の本屋で見付けた。面白そうだと思い,しかし荷物を増やしたくなくて,アマゾンで注文した。旅先で見付けた本をインターネットで注文して家に配送してもらえるというのは大変便利だ。反面,これでまた店舗を構えた本屋が廃ると思うと良心が痛む。

 本の中では宮崎氏は聞き役で,主には司馬氏と堀田氏が話している。私の場合,司馬氏の対談集だというので手に取った。この人は書いたものだけでなく話も面白いことで有名な人だと聞いていたから,一度対談集・鼎談集か講演録を読んでみたかったのである。

 この本を読んでもそのことはよく分かる。例えば食文化の違いについて論じた部分でこう語っている。「明治三十八年の旅順の陥落のとき…ロシア軍の食糧庫の大豆という大豆の袋からモヤシが出た。それでロシア軍は降伏したという説まである。『もうモヤシが出たから大豆はだめだ』と。つまり,『ロシア人がモヤシを食べることを知っていたらもうちょっとステッセルは頑張れた」(181頁)。

 話として大変面白い。『坂の上の雲』を読んでいればニヤリとする部分だろう。この小説はそれ自体名作だが,『時代の風音』を読むとさらに奥行が感じられるようだ。

 それに,司馬遼太郎といえば主には日本の歴史を素材に小説を書いているわけだが,世界史にも造詣が深く,面白い話をたくさん知っていることも分かった。これから先,司馬氏の対談集ももう少し読んでみようと思った。

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『深夜特急』2,3巻【42-43】

 断続的に『深夜特急』を読んでいる。今日は3巻まで読んだ。この間の末尾でようやくインドのデリーに到着する。1巻の冒頭に戻ってくるわけだ。

 3巻ではブッダガヤでの逗留の部分が好きだ。ここではカースト外の子供たちのための施設が登場し,そこで朝日とともに起き農業をして日暮れとともに寝る生活を著者は体験する。そこに何とも言えない羨ましさを感じて,いつか行ってみたくなった。

 『深夜特急』はもちろん不朽の名作である。が,外国の情景を文章だけで想像するのは難しい。映像がないかと思って探してみたら,大沢たかおの演じるテレビドラマ版?の『深夜特急』があることが分かった。You Tubeにもアップロードされている。消されないうちに見ておきたい。

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『歴史の舞台』【44】

 司馬遼太郎『歴史の舞台』を読んだ。

 モンゴルや騎馬民族のこと,古朝鮮のこと,倭人についてなどなどのエッセイ集である。司馬氏の関心の広がりが日本の歴史の外にも無限の広がりを持っていることが感じられ,読んでいて面白かった。

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『戦雲の夢』【45】

 司馬遼太郎『戦雲の夢』を読んだ。

 土佐の御曹司長曾我部盛親を主人公にした歴史小説である。司馬氏の歴史小説の中では初期に近い作品で,純粋な小説である。考証風の記述がほとんどなく,司馬小説のその部分が好きな読者にとっては,面白さが感じられないかもしれない。ぼく自身,読むのが少しつらかった。

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もじゃぽっくる

Author:もじゃぽっくる
神戸在住/35歳/男

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